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石山哲央展(2019/ギャラリー白3)
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Atelier CASO 2018 Summer (2018/CASO)
​個展「幸せな苦悩の集積」(2017/VOLVOX)
​Panta Rhei (2017/M邸)

石山哲央《時空遊戯ー諦私考ー》/京都精華大学卒業生ファイル2016ー未来の問い(​2016/京都精華大学ギャラリーフロール)

 

撮影:髙橋耕平  画像提供:京都精華大学

個展 「KURUKURU J」(2016/Antenna Media)

石山哲央《時空遊戯》/第18回岡本太郎現代芸術賞展(2015/川崎市岡本太郎美術館)


 

私は自分だけが読める文字を創造した。

 

当初は、他者との理解を深め合うためではなく、自らの思考を自分のみが記録するために必要だった。

 

いつしか私は、自分にしか扱えない文字で書き記したものが、時を超え、他者が解読し、共有する日がきたら面白いと考えるようになった。

 

ただ、直ぐに読み解かれてしまってはつまらない。そこで、壮大ないたずらを思い付いた。

 

自らの文字を刻んだ作品群を世界のあちこちに埋め、未来の人たちを混乱させるというものだ・・・

GEISAI#20 グランプリ金賞受賞 石山哲央 個展(2014/Hidari Zingaro , Kaikai Zingaro)

個展|汝自身を知れば知るほど青二才(2013/新宿眼科画廊)

 

人間を超えた何者かへの祈り、あるいは反発、この自らに内在する相反する思いをもとに表現した作品を発表した。  

 

その昔、ソクラテスはデルフォイのアポロン神殿に刻まれていた「汝自身を知れ」という言葉を「自らの無知を自覚せよ」と解釈したと言われている。《汝自身を知れば知るほど青二才by 如来くん》は、悟りを開いたはずの如来が自らに疑念を持ち、現代の学校に通い、倫理の教科書を読んで「無知の知」を知り、衝撃のあまりフリーズしてしまうという様をユーモラスに表現した。

 

また、土地蔵(どじぞう)と自ら名付けた祈りの像は、信仰から離れて生きる現代の私が、土の可塑性に身を委ねながら、手探りで生み出した祈りの対象とも言える。

 

《私が己の文字を刻み記すのは、思考の過程にある目的の尊厳を、誰よりも求め続けるからだIX》は、自らの思考を崇高なモノとして捉え、自身しか解読することができない文字を記している。

 

《Mr.ドクニンジンの僕だって一人でラジオ進行できるもん♪》は、死後の世界よりソクラテスと名乗る男がラジオ放送をしているというもので、会場に5分間隔で流れるようになっている。放送では、自ら死を受け入れてしまった人間には良く生きるチャンスすらないということを死んでから気づいたといった後悔などが赤裸裸に語られている。

 

《汝自身を知れば知るほど青二才by 如来くん》は、教科書を通しソクラテスに思いを馳せ、《Mr.ドクニンジンの僕だって一人でラジオ進行できるもん♪》では、リスナーの投稿によって地上に舞い戻った如来くん(仏陀)に死後の世界からエールを送る。

 

架空の設定により、交わる筈のない思考が交錯する構成となっている。

追憶/悪夢(2012/京都精華大学グラウンド)

 

大学グラウンドを占拠して行った一日限りのインスタレーション。ブイ、砂場セット、ビート板、ケッソクセンなどを用いて、夜のグラウンドに波打ち際を現出させた。

 

二カ所にボイスレコーダーを設置し、それぞれ異なる音を録音した。

 

ボイスレコーダーAには、ある青年が幼少期に家族と海に行った時の幸福な物語が録音され、ボイスレコーダーBにはAの音声に途中から津波で逃げまとう人々の声が重なってくる。

 

二つのボイスレコーダーによって、目の前の景色が変わって見える演出を考えた。

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